Dr.Kの経理お悩み散薬
不正のトライアングルと心の薬
「経理実務の学校」に寄せられる実務家の悩みをDr.Kが解説!
(Q) 不正のトライアングルの「動機」「機会」「正当化」の3つが
なった時、不正が起こるのですね。
この3つとも不正行為者の「心」の持ち方から生じるのですか?
(A) 確かに根底には「心」の持ち方があります。心の持ち方をコン
トロールすることに、人間は様々な試みをしてきました。先般、筆
者の菩提寺で千利休を祖とする茶道の宗家をお招きした茶会があり
ました。心の乱れた戦国の世に茶道が何故茶道が流行ったか?、
「心」の持ち方が起因しているのではないでしょうか。
「利休四規七則」といわれる言葉があります。四規とは「和敬清寂」
です。一字毎に述べると次のようになります。
和:茶には「和」という根本理念が流れています。己の心の和、道
具の取り合わせの和、席中相客の和が合わさって、心の乱れのない
点前が可能です。聖徳太子の十七条憲法の冒頭でも「和を以て貴し
となす」と唱えられています。また、人の心の和とは禅の悟りの境
地を表すものでです。この普遍なる価値を有する和は、茶の修道に
おいても、主客、師弟のそれぞれの立場で真に求められるものです。
敬:人を敬い、自らを慎むこと。お互いが慎みあい、敬い合うこと
が無ければ、どんな茶事や茶会でも自己満足で終わってしまいます。
また、道具への敬の念、師弟間の相互の敬の念、仕え合いながら自
然に「敬」の心を育んでいきたいものです。上へへつらうことなく、
下には丁重に接することで、敬し敬される関係が生まれるのです。
清:清らかであること。茶室に入る前には、必ず手水鉢で手を洗い
口を漱ぎますが、それは単に目に見える汚れを洗い流すばかりでは
なく、手水の水には心身を清めるという意味が込められているます。
手水で清めるほどの神聖な場としての茶室という位置づけが示され
ています。日々の掃除を怠らず、身体を洗い清めるということは、
同時に内からも清めているのだという気持ちが大切です。
寂:静かで何ものにも乱されない不動心のことです。客は静かに心
を落ち着けて席入りし、床の前に進む。軸を拝見しそこに書かれた
語によって心を静め、香をかぎ花を愛で、釜の松風を聴く。そして
感謝を込めてお茶をいただく。こうした茶の実践を積み重ねていく
ことによって自然の中にとけ込み自然を見つめ、自分をも深く見つ
めることができます。まさに自然と同化することによって寂の心境
に至ります。不動心を持っていれば、どんなことにもゆとりを持っ
て対処できる心の大きさが生まれ、このゆとりの中にこそ、茶の道
が奥深く開けてゆくのです。
読者の方々の「心の薬」になればと思います。
(Q) 不正のトライアングルの「動機」「機会」「正当化」の3つが
なった時、不正が起こるのですね。
この3つとも不正行為者の「心」の持ち方から生じるのですか?
(A) 確かに根底には「心」の持ち方があります。心の持ち方をコン
トロールすることに、人間は様々な試みをしてきました。先般、筆
者の菩提寺で千利休を祖とする茶道の宗家をお招きした茶会があり
ました。心の乱れた戦国の世に茶道が何故茶道が流行ったか?、
「心」の持ち方が起因しているのではないでしょうか。
「利休四規七則」といわれる言葉があります。四規とは「和敬清寂」
です。一字毎に述べると次のようになります。
和:茶には「和」という根本理念が流れています。己の心の和、道
具の取り合わせの和、席中相客の和が合わさって、心の乱れのない
点前が可能です。聖徳太子の十七条憲法の冒頭でも「和を以て貴し
となす」と唱えられています。また、人の心の和とは禅の悟りの境
地を表すものでです。この普遍なる価値を有する和は、茶の修道に
おいても、主客、師弟のそれぞれの立場で真に求められるものです。
敬:人を敬い、自らを慎むこと。お互いが慎みあい、敬い合うこと
が無ければ、どんな茶事や茶会でも自己満足で終わってしまいます。
また、道具への敬の念、師弟間の相互の敬の念、仕え合いながら自
然に「敬」の心を育んでいきたいものです。上へへつらうことなく、
下には丁重に接することで、敬し敬される関係が生まれるのです。
清:清らかであること。茶室に入る前には、必ず手水鉢で手を洗い
口を漱ぎますが、それは単に目に見える汚れを洗い流すばかりでは
なく、手水の水には心身を清めるという意味が込められているます。
手水で清めるほどの神聖な場としての茶室という位置づけが示され
ています。日々の掃除を怠らず、身体を洗い清めるということは、
同時に内からも清めているのだという気持ちが大切です。
寂:静かで何ものにも乱されない不動心のことです。客は静かに心
を落ち着けて席入りし、床の前に進む。軸を拝見しそこに書かれた
語によって心を静め、香をかぎ花を愛で、釜の松風を聴く。そして
感謝を込めてお茶をいただく。こうした茶の実践を積み重ねていく
ことによって自然の中にとけ込み自然を見つめ、自分をも深く見つ
めることができます。まさに自然と同化することによって寂の心境
に至ります。不動心を持っていれば、どんなことにもゆとりを持っ
て対処できる心の大きさが生まれ、このゆとりの中にこそ、茶の道
が奥深く開けてゆくのです。
読者の方々の「心の薬」になればと思います。
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※本コラムに掲載されている情報は、掲載した時点での情報です。
弊社は掲載された内容に関し、如何なる保証もするものではありません。
また、記載されている事項は変更される場合がありますので、予め御承知おき下さい。
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